ぬしゃ子の不妊治療日記

38歳、妊活4年目にして体外受精はじめました。2017年5月からの治療の日記

とても順調でしたが流産となってしまいました

稽留流産の手術をして一ヶ月経ちました。

とてもとても順調な妊娠初期でしたが、8週と5日で心拍が動いていることが確認できず、3日後に再度確認したのち、9週と5日にあたる日に稽留流産の手術をしてもらいました。

順調に胎嚢確認と心拍確認とすすんでいましたが

前回のブログにあるように、5週1日で胎嚢確認ができました。
そして、明日、心拍確認できたりしないかなぁ、といっていましたが
6週1日でピコピコと動く心拍確認もできました。胎芽は2.8mmでした。

翌週の7週1日でしっかりと波打つ心拍を聞き、その日にハートクリニックを卒業しました。胎芽は11mmに育ってくれていました。

その頃つわりが日に日にしんどくなってきていたので、母に頼ることもあるだろうと、ハートクリニックで頂いた、”卒業おめでとうございます”の写真を持って、私の両親に報告しに行きました。
母は泣いて私と夫を抱きしめ喜んでくれて、その様子を報告のタイミングからこっそり動画で撮ったりしました。

それから子宮頸がんの検診に行った時、7週5日でしたが、こちらでもしっかり動いている心拍を確認し、内診のたびにドキドキはするものの、このまま順調に育つことを少しも疑ったりしていませんでした。

卒業に至るまでもハートの先生は心配することはほぼ無いと思う、とおっしゃってくださったし、色んな数値や進み具合が順調で、それでももしかしてがあることは頭で分かっていても大丈夫だと思わずにいられない、幸せな時間でした。

母子手帳をもらい、初めて妊婦健診で産婦人科

産婦人科とはなんて幸せな空間なんだろうと思いました。
婦人科もあるし、色んな事情でそこにいることは分かっていますが、そこかしろにお腹の大きな妊婦さんや小さいお子さんを連れたママがいて、新生児を大事そうに抱っこして退院するご夫婦がいる。
アンパンマン自動販売機の音楽をバックミュージックに健診を待つ時間は、なんだかとても特別な感じがしていました。

内診に呼ばれ、いつも通り経膣エコーをしてもらえると思っていたら、なんと腹部エコーでびっくりしました。赤ちゃんは見えるもののはっきり見えず、先生はなんだかはっきりしない様子で、しっかり経膣エコーで診てみますからね、と言われていました。

私はまだ腹部エコーは早かったのね、と思いながら場所を移動し、経膣エコーでまた先生に診てもらうわけですが、
「んー、やっぱりね、心拍がみえないんだよね」
と。

血の気が引くと同時に、まさに耳がパタッと蓋をしたような感覚でしたが、小さな声で「はい」「はい」と先生のおっしゃる言葉に返事をし、台を降りました。
正直驚きしか感じることができなく、つーっと涙は流れるものの、いやいや、ちょっと分からない、寝耳に水ってこういうことなんだろうな、などと思いながら、涙をおさえ、先生の話を聞きに戻りました。

3日後にもう一度診てみて、ダメだったら手術しよう、という話を聞き、診察室を出ると、ぼったぼたと涙が止まらなくなりました。ひと気のないところで立ち止まって、数分過ごしたのですが、初めてもう赤ちゃんを産めることはないのかもしれないなぁとも思いました。涙はとめどなく流れてきました。
頭と心がバラバラで、耳に入るアンパンマンの音楽がちぐはぐさに拍車をかけて、現実じゃないみたいでした。

2度目の稽留流産手術

その診察の翌日、子宮頚がんの検査結果を聞きに他のクリニックに行ったのですが、事情を伝え内診してもらいました。やはり心拍は動いていませんでした。

3日後の診察でもじっくり診てくださいましたが、流産確定となりました。

手術ですが、ハートクリニックで受けるか、こちらの産婦人科で受けるか悩み、ハートクリニックにも問い合わせてみたのですが、院長先生がいらっしゃらない週とあたるようだったので産婦人科で手術をしてもらうことにしました。
ちなみに産婦人科の先生は、もちろんうちでもちゃんと手術はするけど、今後もハートで治療を続けるのであれば、ハートで手術してもらうのがいいかもね、というニュアンスだったのですが、つわりもしんどく、地味にトイレに何回も起きるのもしんどく、手術を行うなら早く行いたかったので、最終的にすぐしてもらえる産婦人科での手術を選んだのでした。

手術当日

子宮頸管を拡げる処置に前回同様びびっていたのですが、拍子抜けするほどのものでした。
ハートでは、しっかり何かされている感覚があったのですが、こちらでは一瞬で終わり、これで手術できるくらい広がるの?とまで思うほどでした。

当日の手術は私を入れて3名でした。
4人部屋で待機し、手術の順番は私は最後でした。

手術後、待機室のベッドに運ばれた時に目が覚めてしまったのですが、お腹が痛くて痛くて唸ってしまいましたが(その後また眠った)、他のお二人は静かなもんでした。
あとあと看護婦さんにも麻酔が効きにくい体質ね、と言われたので、目覚めるのが早かったのかもしれませんが。

再度眠って、点滴が終わって帰る頃はお腹の痛みもなくなっていました。

その後の心理状況

やっぱり頭も心もバラバラでした。

涙はただただ流れるものの、胴体の心の方はバリアを張っているみたいに、当分悲しみを受け入れないようにしているみたいでした。

泣くことと胸が痛くなること、同時にできるようになったのは2週間ほど時間が経ってからでした。

何も考えてなくとも涙が溢れて、お風呂上がりに過呼吸をおこしかけた時は、落ち着いて落ち着いて、息をゆっくり吐くようにしたら、それはおさまるようだったけど、息を吐くのと同時に黒い重たいものが胸のあたりに発生して別の苦しさがありました。

気づけばただただぼーっと何も考えずに壁をみている時間があり、そんな時夫は「はいっ!」と意識を違うとこに向けるようにしてくれましたが、
多分ぼーっとするのは、気づかない意識の下で脳がせっせこ働いて色んな調整をしてくれているんだろうなと思いました。それも多分必要な時間なんでしょうね。

あと、やっぱり外的刺激にとても弱かった。
人と会うと帰ってから反動のように、黒いものがどーんと発生して、気持ちがシクシクしたりしました。

ちなみに夫はとても優しかったです。
私はよく美味しいものは本当に人を幸せにするね〜と言っているからか
うまいもんを食べて元気になるしかない!と言い、食べたいものをたくさん食べに連れて行ってくれました。あぁ幸せだなぁと思いました。

 

ひと月経って、やっとブログをかく気分になりました。

こうやって悲しさを思い出すとまた涙は流れたりしますが、
気持ちはやっと区切りをつけれたように思います。

今後も治療をしていくしかないとは思っているのですが、病院を変えるか少し悩んでいます。

というのも夫が知り合いに香月産婦人科がいいと言われたようで、そこに変えたら?という話で。

今回ダメだったのもきっと染色体のせいだと思っているので、ハートクリニックではむしろ成功?していると思っているので、私はハートで続けても良いんじゃないかと思ったりしているのですが。。

私の友人は絹谷とハートで妊娠しました。
その他の広島の病院で治療中の方ともいろいろお話ししたいなぁ。。